※チーズ工房ブログの「Three Brownストーリー」よろしければそちらもご覧になってください。同じ内容で写真も掲載していますのでより伝わりやすいかと思います。

 

【序章】  

主人と私の夢だった「牛を飼ってチーズを造りたい!」夢を追いかけて、言い続けて18年!!2011年3月に3頭のブラウンスイス牛を飼い始め、チーズ工房もでき・・・ここまで歩んできました。こう書くと年月こそかかっているものの順調に聞こえますが、牛を飼い始めてからの時間の流れの速いこと。何をしていたのかすぐには思い出せないくらいあっという間でした。よく主人とも話しているのですが、どんなに大変でも苦しくても、好きなことに向かってやってきて1つ1つかたちになっていっているのだから幸せだよね!と。

【Three Brown ストーリー 1 】

はじめに、私と主人が出会ったのは三重県にある、学校法人 愛農学園農業高等学校。私は群馬から。主人は北海道から愛農学園を選択し入学。主人は1つ先輩です。

卒業の際、5か年計画というものがあり主人はこの時から「牛を飼ってチーズを造りたい!」という夢を追い求めることになりました。主人18歳の春。卒業後、全国の農家さんで研修。のちに三重県で酪農ヘルパーとして働き資金を貯めはじめます。

数年後、北海道に戻りいろいろ模索するのですが叶わず、結婚と同時に私の地元群馬で夢を追い求める決意をしました。主人25歳。

翌年、チーズの勉強をするため、農事組合法人 共働学舎新得農場にて1年間研修をさせていただきました。この時一緒にチーズの製造をしていた仲間も今、それぞれのチーズ工房で活躍しています。とても嬉しく励みになります。そして研修を快く受け入れてくれた共働学舎新得農場 代表 宮嶋望氏には、心から感謝しています。そして1日も早く恩返しができるよう、頑張っていきたいと思います。

Three Brown ストーリー 2

北海道の共働学舎新得農場から1年間のチーズ研修を終え群馬に戻りすぐにでも牛を飼いチーズを造りたかったが、原料となる自分の求める牛乳がなかったことと、資金も足りなかったので、始めは酪農ヘルパーを1年半しました。その後、牛削蹄師として修行。すでに開業している牛削蹄師さんのところで5年半、削蹄の仕事をしました。そして群馬の地でできる酪農とチーズ工房のかたちを模索しながらコツコツ資金を貯め、いつやってくるかわからない“チャンス”をしっかり掴めるよう待つのでした・・・。

Three Brown ストーリー 3

結婚して9年間、私の実家で両親、祖父母もいる大家族生活をしていました。しかし3人の子どもにも恵まれ、さらに将来のことを考え、実家から5km離れた標高600mのところへ。そこは両親がまだ通いで養豚を営んでいましたので豚舎のある敷地の一角に、新居を構えることにしました。北海道出身の主人は民家が隣接している住環境よりも、豚舎のある赤城山に近い中之沢地区の方が、将来牛を飼うとき牛舎が敷地内にある方が車で通うこともなく、何かの時にも迅速な対応ができるので理想であると考えたからです。

削蹄師をしているとき、すでに北海道の主人の実家でブラウンスイスを育ててもらっていました。新居に引っ越してから半年後、実家が酪農を辞めることになり、育てていた5頭のブラウンスイスをどうするのか、決断をせまられたのでした。

Three Brown ストーリー 4

新居を建てるにあたり貯めていた資金も使ったので5頭買い取れる余裕がありません。結局、3頭買い取ることになり、そこからはバタバタ慌ただしくなりました。3頭買い取る決断をしたものの、この時点で牛を飼う牛舎がありません。融資を受けようと思い相談するも、新規で牛を飼おうとしているので実績もなく貸してくれるはずがありません。しかし、牛は来てしまうのです!来る日も来る日も悩み、考え、動き出しました。

「自分で作るしかない!!」まず既存の豚舎を解体するところからです。この時、養豚業は縮小していたので殆どの豚舎は空いている状態でした。主人は実のお兄さんを北海道から呼び寄せ、2か月間わが家に泊まり込みで手伝ってもらえないか交渉しました。お兄さんは重機の運転ができるのです。時期も良かったのか過酷なお願いを快く引き受けてくれ、すぐにバックホードーザーをレンタルし、急ピッチで動き始めました。

まず、豚舎と豚舎の間に、密に生えている篠林を少しずつ刈り進み、豚舎解体時に出る鉄は丁寧に分別し売りました。すべて手作業なのでなかなか進みませんが、確実に進んでいるのも確か。要領がわかってくると作業スピードも上がります。効率よく動け、重労働ならではの充実感もあり、ごはんが美味しい!3食作る私も作り甲斐があります。
誰かがこんな言葉をいっています。
・・・・・・
本気でするから大抵ことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でするから誰かが助けてくれる

三番目のこの言葉。「本気でするから誰かが助けてくれる」本当にそうだなと、しみじみ思います。夢があるから、悩み、考え、一歩進む。本気だから夢を周りの人に言い続けてきた。「牛を飼ってチーズを造りたい!」私たちの夢なのに、いつの間にか共有してくれて、いつも気にかけてくれ、励ましてくれ、助けられ、支えられ・・・感謝、感謝です。

Three Brown ストーリー 5

今から2年前の2011年3月11日午後14:46分。東日本大震災。私は家の中で息子に授乳をしていました。いつもすぐにおさまる揺れがこの時は長く続き、どこかで大変なことが起こっているに違いない。被害が最小限であってほしいと祈りました。被害状況がわかってくるにつれ胸がおしつぶされそうでした。

そんな中、8日後には北海道からブラウンスイス牛が来ることが決まっていました。今まで経験したことのない震災、原発問題。今までも色んな困難をどうにか乗り越えてきたけど、「自分たちの力ではどうすることもできないこと」もあるのだ・・・と。一時、夢を絶たれてしまったかのような気持ちになり力が入りませんでした。

しかし、ブラウンスイス牛は予定通り来るのです!牛舎は完成されていません。主人と協力してくれる仲間で建てた牛舎。柱と屋根、土間が打ってある状態でした。外壁はなく、牛床もありません。しかしその日が来てしまうのです。

2011.3.19日にブラウンスイス牛の成牛1頭。翌日20日にブラウンスイス牛の育成牛2頭が、北海道から大きなトラックに乗せられフェリーで秋田に降り、東北を南下。群馬の地にやってきたのでした。

Three Brown ストーリー 6

群馬の地にやってきた3頭のブラウンスイス牛。それぞれに名前がつけられていました。アシユトン、チョッパー、ハンコックです。わが家では牛さんを名前で呼ぶことにしました。

今まで牛が身近でなかった私は、アシユトンの大きさにビックリ!内心、しっかりお世話できるか心配でした。牛さんが来た当初は次男が生まれて間もなかったため、牛さんのお世話は主人のみ。幸い主人は牛さんのヘルパー、削蹄師だったので牛さんの扱いには慣れていましたが、『手伝い』と、いざ『自分で飼う』のとでは大違い。後々、思うようにはいかず苦労するのでした。

牛さんが来た時、完成されてなかった牛舎も主人の大工仕事によって少しずつ牛舎になっていきました。と同時に自らチーズ工房の建設もスタート。主人はヘルパー、削蹄師、大工の1人3役をこなしました。幸い、マイホーム建設の時、毎日仕事終わりに現場を見に行くのが日課だったので大分勉強になり、チーズ工房建設に活かされたそうです。

牛さんが来てから4か月経った7月。アシユトンが無事に出産をしてメスのヒマワリを産みました。それからは毎日、朝夕2回、手搾りでの搾乳が始まったのでした。

Three Brown ストーリー 7

手搾り搾乳・・・観光牧場に行くと“牛の搾乳体験”があります。実際に体験したことのある方もいると思いますが、手搾りって意外とコツがあったり、握力も使いますよね!体験だと何分もしないと思いますが、主人は1頭の牛を手搾りするのに15~20分かかります。これを朝夕、決まった時間に手搾りするのですが、主人はいつも搾乳中に眠気に襲われるらしく、牛さんに蹴られて目を覚ますこともたびたびありました。

2011.5月より自らの手でチーズ工房の建設をスタートしました。保健所の許可を得るために4部屋の設計図を作り、まずは基礎づくりから始めました。コンクリートは手で練り、型枠もつくり、素人の1人作業はなかなか進みません。それでもコツコツ、コツコツ・・・。柱の取り付け、サッシの取り付け、壁・天井張り、扉の取り付け、水道工事、頭を悩ませ、わからないところは相談し(電気工事だけは業者さん)何とか2011.11月に完成しました。そして工房機材も設置し、無事、乳製品製造許可証を取得できたのでした。

Three Brown ストーリー 8 

わが牧場では、大きな目標として通年放牧を目指しています。しかし土地がありません。そこで牧場の周りを見てみると1.5haの耕作放棄地がありました。私たちはそこの土地を借りることは出来ないかと、まず市役所農林課に相談しました。地主さんとの交渉も役所の方が仲介に入ってくれスムーズに進み借りることができました。ただ、借りたはいいものの15年ほど管理されておらず、栗の木約50本と、4mもある篠が密生されており、1m先も見えないほどの耕作放棄地でした。

 

まず森林組合にお願いしてハンマーナイフで篠を粉々にし、チェンソーで栗の木を伐採(この栗の木は薪ストーブユーザーであるわが家も含め5~6軒に声をかけ、片づけて持って帰ってもらいました)その後パワーショベルで抜根、放牧のことを想定し楢の木1本、梅の木5本は残すことにしました。

 

2012年6月、開墾した土地の整地をし、緑肥用の種(ソルゴー)を手で蒔きました。1歩づつ、1歩づつ。

 

 

Three Brown ストーリー 9 

2012年6月。牛さんの運動場づくりで電気牧柵を設置しました。サージミヤワキ(株)に依頼し担当の方が来てくれ、主人と汗を流しながら2日間かけて設置しました。これで牛さんを外に出せるようになりました。放牧への一歩、とてもうれしかったです。

 

2012年8月9日。この日ブラウンスイスのハンコックさんが出産をしました。そこにもドラマが・・・。産気づいているにもかかわらず、なかなか産まれません。主人が手を入れてみることにしました。・・・子牛に届きません。もしかして子宮捻転かもしれない!すぐに獣医さんを呼びました(子宮捻転とは読んで字のごとく、子宮が捻じれた状態。妊娠した子宮が捻じれて、陣痛があっても中から子牛が出て来られないことをいいます)獣医さんが到着すると捻転をなおすのに、人数が必要なので人を集めるように指示がありました。直ぐに家族、子どもたち、ご近所の酪農家さんが駆けつけてくれ皆の見守る中、メスのブラウンスイス牛が産まれました!この日は息子の誕生日ということもあり子牛の名前を息子が命名“チェリー”と名付けたのでした。出産は人間も動物も同じ。命の誕生に立ち会えた子どもたちは一部始終手をぎゅっと握り何か大切なものを感じていたようです。

・・・無事に産まれてきてくれて、本当にありがとう。

Three Brown ストーリー 10

無事に産まれたチェリーちゃんもすくすく大きくなり1頭では寂しいので仲間を1頭増やすことにしました。わが家のハンコックさんから2011年10月に採卵し代理母牛への授精卵移植によって産まれた子牛が、市内の酪農家さんに2頭いました。そのうちの1頭を購入し、ミントちゃんと名づけ、わが牧場の一員に加わりました。チェリーちゃんとは父親は違いますが、どちらもハンコックさんの子どもなので姉妹ということになります。

チーズ工房は保健所の許可は得たものの、試作のチーズしか作れない規模だったため、群馬県の6次産業支援事業によりプレハブ冷蔵庫と、パスチャライザー(生乳殺菌機)を2012年10月に購入。以後時間のある時に試作チーズを作り商品化に向け試行錯誤を繰り返すのでした。
後々プレハブ冷蔵庫をつなげる可能性もあるので扉が外にもついています。

主人のつくったチーズ工房にパスチャライザーが入りました!

2012年10月より農水省から1か月間、農村研修ということで研修生がわが家にやってきました。借りた畑をよくするべくモミガラ燻炭作りに挑戦。来る日も来る日も研修生はモミガラ燻炭作りに明け暮れ、帰るころには立派なモミガラ燻炭職人でした(笑)
大量にモミガラ燻炭を作ってくれた研修生に感謝し、堆肥とともに畑に撒きました。美味しい草になって牛さんが喜んで食べてくれたらいいなと思います。土づくり→おいしい草→おいしい牛乳→おいしいチーズ。ざっくり言いすぎですが、どれも大切で繋がっているのです。

完成したモミガラ燻炭を広げて冷ましています

 

Three Brown ストーリー 11

今日は近況報告などです。
農業にかかわっている人であれば誰しも、天気や気候によって農作業が左右されたり収穫に影響があったりしますよね。わが家でもたった6頭(うち搾乳牛は2頭)だからこそ問題が起こるたびに頭を悩ませ、どうしたらいいのか勉強します。そして解決するたび経験を積んで一歩ずつ一人前の酪農家へと成長していけたらと思います。牛さんにはいつも健康でいてもらえるよう、これからも勉強と努力をしていきたいと思います。


現在、成牛4頭(うち3頭は妊娠中。1頭は妊娠鑑定待ち)予定では6月に2頭、9月に1頭、妊娠していれば11月に1頭、出産する予定です。毎回、妊娠鑑定には一喜一憂。そして出産のその時まで何事もなく、元気な子牛が産まれることを心から祈るのでした。

チーズの方は現在、モッツアレラ、ストリングチーズ(さけるタイプ)、カチョカバロ、フロマージュブラン、の試作中です。皆様に食べていただける日を楽しみにしています(*^_^*)